思い出のファンタジスタ

ありんくりん

2006年06月24日 00:07



日本中を沸かせた「サムライ・ブルー」の挑戦もあえなく終わった。
これからは「昔の楽しみ方」でW杯を見るとしよう。

例え母国が姿を消しても、
世界の天才達がファンタスティックなプレーを楽しませてくれる。

おいらがサッカーを知った頃、
天才プレーヤーと言えば「ベッケンバウアー」だった。
今回の大会が行なわれているドイツの選手だ。
この冬、1950年代の天才フィギアスケーター「イナ・バウアー」の名前が
再び知れ渡ることになったが、
おいらはにとって「・・・・バウアー」といえば「ベッケンバウアー」。
しかし、彼の話はまた別件で。

そんな小学校低学年の頃、
おいらは毎日近所の中学校のグラウンドに通っていた。
暇さえあれば「校舎の壁」とキャッチ・ボールをしていたのだ。

ある日、いつもと同じように中学校のグラウンドで遊んでいると
サッカーボールをドリブルしながら一人のニーニーがやってきた。
近づいて見とれていると
やがてニーニーはリフティングやシュート練習も見せてくれた。
テレビで見た「ベッケンバウアー」のように華麗だった。

ニーニーはユニフォームを着ていた。
サッカーのユニフォームを着た人を真近で見るのは初めてだったので、
「お兄さん、プロの人?」と尋ねると
「日本にはサッカーのプロ選手はいないんだよ」と教えてくれた。
名前を尋ねると「スギヤマって言うんだ」と答えてくれた。
ニーニーのユニフォームには「三菱」のマークが輝いていた。

そしてその夜、
家で「三菱のスギヤマさん」の話しをするとちょっとした騒ぎになった。
当時、日本代表のイレブンに三菱の杉山って選手がいたのだ。
杉山隆一選手・・・。
釜本選手とのコンビでメキシコ五輪の銀メダルに大きく貢献した名選手だ。

結局、そのニーニーが日本代表の杉山選手であるワケがない・・・
と、いたって常識的な結論で締めくくられたのだが、
レプリカユニフォームなんて売られていなかったあの頃
中学校のグラウンドで出逢った謎のニーニーは
おいらの幼少期に出会った不思議な人物の一人として、
未だに記憶から離れない。

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