ビックリハウスの頃

ありんくりん

2006年08月20日 11:02



たかだか「ウゴウゴ・ルーガ」ごときで
ちょっとした「自分史」を書きたくなったおいらがいる・・・。

「ラジカル・ガジベリビンバ・システムの頃」を書いていて、
ラジカル・ガジベリビンバ・システムが活動を始めたころって
ちょっとした「区切り」の年だったコトに気付いちゃったのです。

1985年・・・
それは生まれて1度も「優勝シーン」を見る事の無かった
阪神タイガースが優勝を決めた年。
(しかも優勝を決めてくれたのは21歳の誕生日だ)
そしてこの年に自らの役目を終えて、廃刊した雑誌があった。

それが「ビックリハウス」だ。

「ビックリハウス」
一種「深夜放送的なノリ」が感じられたサブカルチャー雑誌で
執筆陣には糸井重里、川崎徹、栗本慎一郎といったコアな顔ぶれが揃っていた。
おいらは執筆陣の一人・大滝師匠に導かれたのだった。

「ビックリハウサー」と呼ばれた投稿者からは
渡辺いっけい、ナンシー関(故)、清水ミチコ、大槻ケンヂといった
芸能人・ギョーカイ人も数多く輩出している。

「えびぞる」「まいっちんぐ」「バイなら」など社会的流行語を生み出した『全流振』
日常のびっくりした出来事を面白可笑しく投稿する『 ビックラゲーション』
一発ギャグを書いた名刺を投稿する『名刺対決』など
毎月大爆笑しながら眺めていたものだ。
立ち読みでは笑いを堪えきれないのが恥ずかしくて、買って帰って読んでいた。

久し振りに思い出したキーワード「ビックリハウス」
ネット検索をしてみると、数多くの「ハウサー」仲間がサイトを立ち上げていた。
なんだか同じ学校を卒業した仲間のようだ。
そういえば「ビックリハウス」は教科書と同じサイズだったなー。

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