ビックリハウスの頃
たかだか
「ウゴウゴ・ルーガ」ごときで
ちょっとした「自分史」を書きたくなったおいらがいる・・・。
「ラジカル・ガジベリビンバ・システムの頃」を書いていて、
ラジカル・ガジベリビンバ・システムが活動を始めたころって
ちょっとした
「区切り」の年だったコトに気付いちゃったのです。
1985年・・・
それは生まれて1度も「優勝シーン」を見る事の無かった
阪神タイガースが優勝を決めた年。
(しかも優勝を決めてくれたのは
21歳の誕生日だ)
そしてこの年に自らの役目を終えて、廃刊した雑誌があった。
それが
「ビックリハウス」だ。
「ビックリハウス」は
一種「深夜放送的なノリ」が感じられたサブカルチャー雑誌で
執筆陣には糸井重里、川崎徹、栗本慎一郎といったコアな顔ぶれが揃っていた。
おいらは執筆陣の一人・
大滝師匠に導かれたのだった。
「ビックリハウサー」と呼ばれた投稿者からは
渡辺いっけい、ナンシー関(故)、清水ミチコ、大槻ケンヂといった
芸能人・ギョーカイ人も数多く輩出している。
「えびぞる」、
「まいっちんぐ」、
「バイなら」など社会的流行語を生み出した
『全流振』
日常のびっくりした出来事を面白可笑しく投稿する
『 ビックラゲーション』
一発ギャグを書いた名刺を投稿する
『名刺対決』など
毎月大爆笑しながら眺めていたものだ。
立ち読みでは笑いを堪えきれないのが恥ずかしくて、買って帰って読んでいた。
久し振りに思い出したキーワード
「ビックリハウス」で
ネット検索をしてみると、数多くの
「ハウサー」仲間がサイトを立ち上げていた。
なんだか同じ学校を卒業した仲間のようだ。
そういえば
「ビックリハウス」は教科書と同じサイズだったなー。
関連記事